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review 2006-2007
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2006-2007シーズンは、試合レポートをアップすることが全くできませんでした。 振り返ってみるに、この2006-2007シーズンは、私自身にとっても、 自分自身を試されたようなシーズンでした。 |
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2006年7月-9月 野辺山で会った柴田選手は、足の痛みは抱えていたものの、 気持ちは前向きであるように見えました。 その後に控えていたカナダでのトレーニングで力をつけるんだ、という 強い意志を感じていました。 私も、カナダできっと大きく成長してくれる、と思っていました。 ところが、予定していたはずのサマースケートにも出場していないし、 あまり調子が良くないらしい・・・というお話が聞こえてきました。 後でわかったのですが、疲労骨折していたために、 思うように練習できなかったそうなのです。 2006年10月-11月 帰国して間もなく、ブロック大会、秋の関カレ、東日本、中国杯、ロシア杯と 連戦のスケジュールでした。 ブロック大会では、新しいプログラムの感触に注目して見てみようと思っていました。 初見だったSP、フリーの感想は、「良いプログラムにしていける可能性はある」でした。 「夏の遅れを取り戻していければ、GPシリーズで上位に入ることは難しくても、 『柴田嶺』という選手の存在を、各国のジャッジに印象づけられるのではないか。」 「全日本までには上手く仕上げてくれるのではないか。」と思えたのです。 余談ですが、全日本のBS FUJIでの放送で実況の方が、 「骨折してもジャンプを跳び続けました」とおっしゃっていますが、違うと思います。 ブロック大会を見て私が思ったのは、「スピンと踊りの完成度を 上げるところに力を入れて練習したのかな?」でした。 続けて出場した関カレは、SPはまとめていたものの、 フリーは見ている方も消化不良になるような演技でした。 後で聞いたら、6分間練習の時に足に違和感を感じていたけれど、 ほぐせないまま演技に入らなくてはならなかったそうなのですが、見ている側はわかりません。 観客は、選手の演技だけが判断材料なのです。 東日本では、フリーでトリプルアクセルを入れようとしていたのですが、 6分間練習でひどく転んでしまい、本番ではチャレンジできませんでした。 そして、中国杯とロシア杯。 観戦には行けませんでしたので、映像を見ただけですが、 「今できることは、全てやれたのではないか?」というのが感想でした。 「これが彼の能力の全てではない、もっとできる。それだけの潜在能力はある。」と 思った・・・というより、信じたかった、という方が近かったかもしれません。 2006年12月 ロシア杯から全日本までは約1ヶ月しかありません。 グランプリシリーズの2試合を見た限りでは、頑張っていましたが、 仕上がりのペースが順調とは思えず、全日本までの1ヶ月は ピッチを上げていかなくてはならないのではないか、と思っていました。 12月上旬、リンクで練習している柴田選手を見ました。 いつもなら真っ先に私の目に飛び込んでくる柴田選手が、 その時は他の選手たちのなかに埋もれていました。 体のキレもスピードも迫力もなく、伝わってくるのは「迷い」だけでした。 迷いがあるのでジャンプ等のタイミングが合わなくなる。 タイミングが合わないので全体的に調子が悪くなる。 調子が悪いので更に迷いが出て来る。 「悪循環てこういう状態のこと?」と、見ている方が辛くなる程でした。 もし、「全日本があるから取り敢えず練習しとくかー」というような 消極的な気持ちをその時に感じてしまったなら、 おそらくファンを続けることはできなかったと思います。 その時の柴田選手は、全身全霊で、本気で迷っていました。 だからこそ、「どういう形でも良い。国際大会での活躍が遠のいてもいい。 しばらく休むことになっても待つ。迷いを吹っ切った嶺くんのスケートを見たい。 もう1度、滑ること、音楽と演技に全神経を集中させている嶺くんのスケートを見たい。」と 思ったのです。 同時に、「もう嶺くんのそんなスケートは見られないかもしれない。 そうなった時に、どうやって自分の気持ちに整理をつけたらいいのだろう?」とも。。。 しばらくして、また練習を見る機会がありました。 その時は、波に乗った時の柴田選手になっていました。 動きも良くなっていて、体のキレもスピードも戻っていました。 迷いは消えていました。 台風一過の後の空を見るようでした。 そして全日本。直前まで好調を維持していましたが、 試合当日の練習から調子が下がったらしく、SPは不本意な出来。 フリーの日も練習はSPほど悪くなかったものの、 直前の好調さを取り戻すまでには至らなかった様子でした。 フリー本番。 いつもなら6分間練習を見れば、本番の出来もある程度は 予想がつくのですが、この時は私の方が緊張していて 全く予想などできませんでした。 「どうしても入れたい」と言っていた3ルッツ-3トゥループのコンビネーションジャンプを降り、 3フリップもお手つきのみでまとめ、後半の最初のジャンプの3ルッツを決めた時、 「今日は大丈夫!最後まで決めてくれる、絶対に!」と確信しました。 終盤のストレートラインステップで起こった手拍子を聞きながら、 「この手拍子は嶺くんが起こしたもの、会場のお客さんから嶺くんへのプレゼントだ。」と思い、 涙が止まりませんでした。 そのため最後のスピンは涙で見えてませんでした。 (後で放送で確認すると、確かに疲れてしまってましたねー。) 柴田選手が良い演技をした時の私は、周囲の注目と視線を浴びつつ、 踊っていることが多いのですが、この時は大泣きしてました。 一緒に観戦していた友人に、「スクリーンにキスクラが映ってるよ。見てあげなさい。」と 言われてもまだ、涙は溢れてきていました。 2007年1月 1月の試合はインカレと国体。 インカレのSPは「やっちゃった」感じのジャンプ転倒。 フリーは何もないところでの転倒がありましたが、 競技への迷いは完全に吹っ切れたと感じました。 国体は柴田選手のシーズン最後の試合になりましたが、この試合で このシーズンで初めてSPとフリーの両方をノーミスで終われました。 正確にはフリーは終盤の3トゥループ-2トゥループがコンビネーションにならずに、 最後の2アクセルをコンビネーションにしたら着氷が乱れてしまったのですが。。。 この時は、演技終了後から叫んで踊ってました。 柴田選手は2月から長いオフシーズンに入りました。 いろいろなことを試しつつ、トリプルアクセルの習得を 最重要課題にしていることは間違いありません。 5月のインカレでは、新しいフリーを披露しました。 この時は出来て1ヶ月のプログラムということもあり、 失敗もありましたが、来たるシーズンへの意欲を感じさせてくれました。 イタリア合宿でのトリプルアクセルの成功は嬉しいニュースでした。 直後の野辺山サマーフェスティバルで見た柴田選手は、 3トゥループの跳び方を変えてみたりしていました。 ジャンプだけでなく、スピン、スパイラル、スケーティングが 格段に良くなったように思います。 実を言うと、野辺山の演技は最近の練習から比べると、 だいぶ力をセーブしていたような印象なのですが。。。 昨年、2006年6月に、SPの振り移しをしているところを見ました。 その時に「私は、気持ちを込めて滑っている嶺くんを見るのが好きなんだ」と改めて自覚しました。 時々、「何故こんなに大変な思いをしてまで試合やショーを見に行ったりするのだろう?」と 思うことがあります。 そんな時は、「私が柴田選手の可能性を信じていて、柴田選手のスケートが好きだからだ。」と 初心に帰ることにしています。 迷いそうになったらスタート地点に戻るのも一つの方法ですから。 |
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